物体を瞬間移動させることはできるのか?――量子テレポーテーションとSFの決定的な違い

量子テレポーテーションで移るものは何か。人間や物体の瞬間移動との違い、古典通信や複製禁止の制約を解説する。

公開 2026/9/14 確認 2026/9/14 読了 9分 中級 執筆: 知識図書館 編集部

目の前にいる人間が一瞬で消え、何百kmも離れた場所に現れる。

SFでおなじみの「瞬間移動」である。

実は現代物理には、

量子テレポーテーション

という本当に存在する技術がある。

名前だけ聞けば、ついに瞬間移動が実現したように思える。

しかし実際に転送されるのは、人間や物体そのものではない。

転送されるのは、

量子状態に関する情報

である。

しかも光より速く送れるわけでもない。

では、量子テレポーテーションとは何なのか。

そして人間の瞬間移動とは何が決定的に違うのか。


量子テレポーテーションでは何が移動するのか

量子テレポーテーションで何が移動する?

量子状態にある粒子Aを考える。

その粒子が持つ状態を、遠く離れた粒子Cへ再現したい。

普通なら粒子Aそのものを運べばよい。

しかし量子テレポーテーションでは、Aを移動させない。

代わりに、

  1. あらかじめ量子もつれした粒子BとCを用意する
  2. AとBを共同測定する
  3. 測定結果を通常の通信でC側へ送る
  4. C側でその情報に応じた操作を行う

ことで、元のAの量子状態をCへ再現する。

このとき、元のAの状態は失われる。


「コピー」ではない

ここが重要である。

量子テレポーテーションでは、

元の量子状態を残したまま、同じ状態をもう一つ作ることはできない。

量子力学には「量子複製不可能定理」がある。

未知の量子状態を完全にコピーする万能装置は作れない。

したがってテレポーテーションは、

コピーではなく、

状態の移し替え

に近い。


なぜ量子もつれが必要なのか

量子もつれした2粒子は、単独では記述できない強い相関を持つ。

片方だけを見てもランダムな結果に見えるが、両方を比較すると特別な相関が現れる。

量子テレポーテーションでは、この相関を資源として利用する。

ただし、

「もつれがあるから情報が瞬時に飛ぶ」

という理解は誤りである。


光より速く通信できない

量子テレポーテーションを完成させるには、測定結果を通常の古典通信で送る必要がある。

電話線でも光ファイバーでも電波でもよい。

しかしそれらは光速を超えられない。

受信側はその古典情報を受け取るまで、正しい量子状態を再構成できない。

したがって、

量子テレポーテーションは超光速通信ではない。

量子もつれが瞬時の相関を示しても、意味のあるメッセージを瞬時に送ることはできない。


では何がすごいのか

量子テレポーテーションの価値は、人間を飛ばすことではない。

むしろ、

量子情報を壊さず遠方へ移す

ことにある。

量子コンピューターや量子通信では、量子状態は非常に壊れやすい。

状態を直接測定すると、その状態そのものが変化してしまう。

量子テレポーテーションを使えば、量子状態の情報を別の場所へ移すことができる。

これは将来の量子ネットワークに重要である。


実験ではどこまでできている?

量子テレポーテーションは、すでに光子・原子・イオンなどで実験的に実現されている。

長距離通信の研究も進み、地上局と衛星を使った量子状態転送の実験も行われてきた。

つまり量子テレポーテーションそのものは、

理論上の空想ではなく、実験技術である。

ただし、そこで転送しているのは量子ビットや量子状態であって、人間ではない。


人間を情報として転送できるか

人間をテレポートするには何が必要か

SF型の瞬間移動を無理やり物理的な情報問題として考えてみる。

人間を完全に再構成するには、

  • 原子の種類
  • 原子の位置
  • 分子構造
  • 細胞構造
  • 神経結合
  • 電気的状態
  • 化学的状態
  • 量子状態

など、膨大な情報が必要になる。

人間の体にはおよそ 10²⁸ 個程度の原子が含まれる。

仮に原子1個あたり100ビットだけで状態を記録するとしても、

10³⁰ bit
級の情報量になる。

これは非常に粗い仮定であり、実際に完全な量子状態を記述しようとすれば話はさらに難しくなる。


そもそも完全測定できるのか

量子力学では、未知の量子状態を一度の測定で完全に読み取ることはできない。

位置と運動量のように同時に任意精度で決められない量もある。

さらに、測定そのものが状態へ影響する。

つまり、

「人体を完全にスキャンして、その情報を送る」

という発想は、古典的な物体ならまだしも、完全な量子状態まで含めると根本的に難しい。


原子単位なら同じ人間を再現できるのか

ここで哲学的な問題も出てくる。

仮に奇跡的に人体の構造を完全に読み取り、遠方で同じ原子配置を再現できたとする。

それは「あなた」なのだろうか。

記憶も性格も神経構造も同一なら、外から見れば同一人物に見えるかもしれない。

しかし元の身体が破壊された場合、

意識の連続性は保たれたのか

という問題が残る。

物理学だけでは、現在この問いに決着をつけられない。


転送された人は同じ本人なのか

転送ではなく「コピー」になってしまう問題

もし元の身体を残したまま、遠方に完全な複製体を作れたらどうなるか。

2人とも、

「自分が本物だ」

と感じるはずである。

記憶も完全に一致する。

ここでテレポーテーションは単なる輸送技術ではなく、

個人とは何か

という問題になる。


元の身体を壊せば解決する?

SFではしばしば、

  1. 元の身体を読み取る
  2. 情報化する
  3. 元の身体を消去する
  4. 遠方で再構成する

という形が使われる。

これなら「複製が2人いる」問題は避けられる。

しかし別の問題が生じる。

これは移動なのか。

それとも、

元の人間を破壊し、同じ記憶を持つ別人を作っているだけなのか。

科学だけでは簡単に答えられない。


人体再構成の材料とエネルギー

エネルギーとして送る必要はない

「E=mc²だから、人間をエネルギーへ変えて送ればいい」という説明もよくある。

しかしこれは現実的ではない。

70 kgの人間をすべてエネルギーへ変換すると、

E = mc²
より
E ≈ 6.3 × 10¹⁸ J
となる。

これは桁外れのエネルギーである。

しかも、そのエネルギーを目的地で完全に物質へ戻す必要がある。

瞬間移動どころか、超巨大エネルギー兵器に近い。

テレポーテーションで物質そのものをエネルギーへ変える必要はない。

必要なのは、再構成に必要な物質と情報である。


「原子は同じだから材料は現地調達」でいい?

人間の原子そのものに個性があるわけではない。

炭素原子は基本的に炭素原子である。

そのためSF的には、

「人体を構成する原子を送らず、情報だけ送って、現地の材料から再構成すればいい」

という考え方ができる。

この場合、輸送するのは物質ではなく設計情報になる。

だがそのためには、

  • 原子・分子を超高精度で配置
  • 神経構造を完全再現
  • 生体状態をリアルタイムで構築
  • 膨大な情報を保存・通信

する必要がある。

現在の技術からは想像を絶する距離がある。


量子技術の巨大化で人間転送へ届くか

量子テレポーテーションを巨大化すれば人間になる?

単純にはならない。

粒子1個や少数の量子ビットのテレポーテーションと、約 10²⁸ 個の原子を持つ人体では複雑さが桁違いである。

しかも人体は環境と常に相互作用している。

量子状態は急速にデコヒーレンスする。

人間全体を一つの巨大な純粋量子状態として管理すること自体が現実的ではない。


ワームホールなら別の意味で「瞬間移動」になる

物体を分解せずに遠方へ移したいなら、

空間そのものを近道でつなぐ

という別の方法が考えられる。

ワームホールである。

もし通過可能なワームホールを作れれば、人間自身がその中を通って別の場所へ出る。

これは量子テレポーテーションとは全く異なる。

「どこでもドア」に近いのはむしろこちらだ。

ただしワームホールも、安定化にエキゾチック物質が必要とされるなど実現の見通しはない。


「瞬間」である必要はあるのか

仮に人体データを完全に取得できても、その情報を目的地へ送る速度は光速を超えられない。

地球上なら遅延はわずかだが、

火星なら数分から20分以上、
別の恒星なら数年以上かかる。

したがって星間距離では、

テレポートという名前でも瞬時ではない。


人を飛ばさなくても量子転送が重要な理由

現実の量子テレポーテーションが重要な理由

人間を瞬間移動できなくても、この技術は非常に重要である。

将来的には、

  • 量子中継器
  • 量子インターネット
  • 分散量子計算
  • 高安全性通信
  • 長距離量子ネットワーク

などへの応用が期待されている。

量子テレポーテーションはSFの代用品ではない。

むしろ、

量子情報技術の中核候補

である。


結論——テレポーテーションは実在する。ただし人間は飛ばない

量子テレポーテーションは本当に存在する。

しかし転送されるのは、

物体そのものではなく量子状態の情報

である。

しかも、

  • 元の量子状態は失われる
  • 古典通信が必要
  • 光速を超えられない
  • 人体へ拡張できる見通しはない

という重要な制約がある。

SFの瞬間移動を実現するには、

単なる量子力学だけでは足りない。

情報量、測定限界、再構成技術、量子力学、生命、そして「自分とは何か」という問題まで越える必要がある。

人間の瞬間移動は、現在の物理ではまだ遠い。

しかし「状態を移す」という意味では、人類はすでにテレポーテーションの入口には立っている。

参考文献

  • C. H. Bennett et al., Teleporting an unknown quantum state via dual classical and Einstein-Podolsky-Rosen channels, Physical Review Letters 70 (1993)
  • Quantum no-cloning theorem
  • Experimental quantum teleportation literature in photons, ions, atoms and satellite quantum communication