光を止めることはできるのか?――秒速30万kmの光が「停止した」実験の正体

光を止めたとされる実験で実際に起きたことを、低速光と量子情報の保存・再生という観点から解説する。

公開 2026/9/14 確認 2026/9/14 読了 9分 中級 執筆: 知識図書館 編集部

光は真空中を秒速約30万kmで進む。

では、その光を「止める」ことはできるのだろうか。

実は物理学では、すでに「光を止めた」と表現される実験が行われている。

2001年、研究チームは特殊な原子媒体の中で光パルスを極端に遅くし、最終的にその光が持っていた情報を原子集団へ保存し、後から再び光として取り出すことに成功した。

一見すると、

秒速30万kmの光を0m/sまで減速した

ように見える。

しかし、厳密には少し違う。

結論から言えば、

真空中を飛んでいる光子そのものを、そのまま静止させたわけではない。

光の量子的な情報を物質側へ移し、後から再び光として復元したのである。

この違いを理解すると、「光とは何か」という問いまで見えてくる。


光を遅くするとはどういうことか

まず、真空中の光速は変えられない

真空中の光速は

c = 299,792,458 m/s
である。

特殊相対性理論では、この c は単なる「光という粒子の最高速度」ではない。

時空の構造そのものに組み込まれた定数である。

真空中を自由に伝わる光子は、静止質量を持たず、常に c で伝播する。

つまり、

真空中の光子をブレーキで減速し、時速100kmにして止める

ということはできない。


では水やガラスの中で光が遅くなるのはなぜ?

光は真空中では c で進むが、物質中では見かけの伝播速度が遅くなる。

屈折率 n を使えば、

v = c / n
と表される。

たとえば屈折率1.5程度のガラスなら、

v ≈ 2.0 × 10⁸ m/s
となる。

つまり真空中の約3分の2である。

ただし、これを

「光子が物質中ではずっと遅い速度で飛んでいる」

と単純に考えるのは正確ではない。


物質中では光と物質が相互作用する

電磁波が物質へ入ると、物質中の電子や原子が電場に応答する。

入射した光と、その応答によって生じる電磁場が重なり合った結果、

光パルス全体の伝播速度が変化する。

ここで重要になるのが、

  • 位相速度
  • 群速度

の違いである。

情報やパルスの包絡が進む速度として重要なのは群速度だ。

「光を極端に遅くする」実験では、この群速度を大幅に下げる。


実験では光をどこまで遅くできたか

光を秒速17mまで遅くした

1999年、Lene Vestergaard Hauらはボース=アインシュタイン凝縮体を使い、光パルスの群速度を大幅に低下させた。

通常なら1秒で地球を7周以上する光が、

人間が自転車や車で追いつけそうな速度

まで遅くなった。

その後、さらに研究が進み、

2001年には光パルスを実質的に「停止・保存」する実験が報告された。


ボース=アインシュタイン凝縮とは

原子を絶対零度近くまで冷却すると、多数の原子が同じ量子状態を占めることがある。

これがボース=アインシュタイン凝縮(BEC)である。

通常の気体では原子はばらばらに熱運動している。

しかしBECでは、多数の原子が一つの巨大な量子波のような性質を示す。

そのため、

光と物質の量子的相互作用を極めて精密に制御できる。


光を遅くする鍵——電磁誘起透明化

特殊な原子媒体へ特定のレーザー光を当てると、本来なら光を吸収するはずの原子が、量子干渉によって透明になることがある。

これを

EIT:Electromagnetically Induced Transparency
電磁誘起透明化

という。

EITの条件では、媒体の屈折特性が非常に急激に変化する。

その結果、光パルスの群速度を極端に小さくできる。


「光を止める」とき何を保存しているのか

「光を止める」とき、何が起きている?

ここが最も重要である。

EITによって遅くなった光パルスは、原子集団と強く結合した状態になる。

光だけでもなく、物質だけでもない。

この混成状態はしばしば

ダークステート・ポラリトン

として記述される。

制御レーザーを徐々に弱くすると、

光パルスの性質が物質側へ移っていく。

最終的には、

光が持っていた振幅・位相などの情報が、原子集団の量子状態として保存される。

この時点で、外へ進む光パルスはなくなる。

これが「光が止まった」と表現される状態である。


光子を箱の中で静止させているわけではない

イメージとしては、

誤解

光子
↓
減速
↓
0m/sでその場に停止

ではない。

実際には、

より正確なイメージ

光の状態
↓
光と原子の混成状態
↓
原子集団の量子状態へ保存
↓
再び光へ変換

となる。

つまり、

止められたのは「光子の運動」そのものではなく、光が運んでいた量子的な情報である。


そして再び光として取り出せる

保存された原子の量子状態へ制御レーザーを再び当てると、

保存されていた情報が再び光パルスへ変換される。

元の光パルスが持っていた情報を保ったまま、光を再生できる。

2001年のNature論文では、光パルスを媒体内へ閉じ込め、その光学情報を保存・再生することが実証された。


2007年には別の場所から光を再生した

さらに興味深い実験も行われた。

2007年、Hauらの研究グループは、

  1. あるBECへ光パルスを入れる
  2. 光を物質波へ変換する
  3. その物質波を別のBECへ移動させる
  4. 別の場所から光パルスとして再生する

ことを実証した。

元の光がそのまま空間を移動したのではない。

光の情報が物質波へ変換され、別の場所で光へ戻った。

これは量子情報処理にとって非常に重要な考え方である。


光を完全に保存できる時間は無限ではない

もちろん、光情報を永久に保存できるわけではない。

原子集団の量子状態は、

  • 熱運動
  • 外部磁場
  • 原子同士の衝突
  • 環境ノイズ
  • デコヒーレンス

などによって崩れていく。

したがって保存時間には限界がある。

現在の研究では、量子メモリとして保存時間を伸ばすこと自体が重要なテーマになっている。


光を閉じ込めれば停止したことになるか

鏡の箱へ閉じ込めれば「止まった」ことになる?

別の方法として、光を鏡の間で何度も反射させることもできる。

高性能な光共振器なら、光を長時間閉じ込めることができる。

しかしこの場合も、光は止まっていない。

内部では光速で移動しながら反射している。

つまり、

場所に閉じ込めることと、速度をゼロにすることは違う。


完全な鏡があれば永久に閉じ込められる?

理想的な反射率100%の鏡があれば、理論上は光を非常に長く閉じ込められる。

しかし現実の鏡には必ず、

  • 吸収
  • 散乱
  • 透過

がある。

少しずつ光エネルギーは失われる。


ブラックホールなら光を止められる?

ブラックホールでは、事象の地平面より内側から光は外へ出られない。

しかし、これも「光が止まっている」わけではない。

局所的には光は常に光速で進んでいる。

ただし時空そのものが極端に曲がっているため、

外へ向かう未来の経路が存在しなくなる。

これは媒質中のslow lightとは全く別の現象である。


光を止める技術は何に使えるか

最大の応用候補は、

量子情報の保存と通信

である。

量子コンピューター同士をネットワークで接続するには、

飛んでくる光量子情報を一度保存し、必要なタイミングで再送する技術が必要になる。

つまり光を止める研究は、

  • 量子メモリ
  • 量子中継器
  • 量子インターネット
  • 量子コンピューター間通信

につながる可能性がある。


「光を止める」が問い直すもの

「光を止める」は、光とは何かを問い直す

この実験が面白いのは、

「秒速30万kmの物体を停止した」

という単純な話ではないことだ。

光は、

  • 電磁波
  • 光子
  • 量子状態
  • 情報媒体

という複数の顔を持つ。

そして物質と強く結合すると、

「どこまでが光で、どこからが物質なのか」

という境界すら曖昧になる。


結論——光そのものを0m/sにしたわけではない

「光を止めた」という実験は本当に存在する。

しかし、

真空中を走る光子へブレーキをかけて静止させたわけではない。

光を特殊な原子媒体と結合させ、

光の情報を原子集団の量子状態へ移し、

後から再び光として取り出したのである。

したがって、

真空中の光速 c が破られたわけではない。

それでも、この技術は十分に驚異的だ。

人類は光を単に反射・屈折させるだけでなく、

光が持つ情報を物質へ預け、必要なときにもう一度光へ戻す

ところまで来ている。

「光を止める」という言葉の本当の意味は、

速度をゼロにすることではなく、

光と物質の境界を制御すること

なのである。

参考文献